島本和彦先生に学ぶ、永遠に漫画家になれない人の思考。
あなたは島本和彦先生をご存知だろうか。私が世界一面白いと盲信している熱血ギャグ漫画家先生である。
この方は20歳で大学在学中に少年サンデーでデビューしたのだが、当時のエピソードを"アオイホノオ"というタイトルで自叙伝漫画を描いている。(ちなみに滅茶くそ面白いから絶対読め)この作品中に実に興味深いエピソードがあるので抜粋させていただきたく思う。
デビュー前の島本先生は画力で悩んでいた。学園モノの読切を描きたいのに、教室を描けなかったのだ。描いたことがある人ならわかるだろうが、学校の教室には椅子や机やモブが大量にいる為とにかくムズイ!メンドイ!読者にサラッと読み流される!という描き手泣かせな場所なのである。
しかしプロになれば、教室やそれ以外にも難しいシーンを描く必要が出てくる。今逃げたところでなんの解決にもなりはしない。
ならば頑張って教室を描いて将来への糧とするべき!この程度の苦労から逃げるようでは漫画家になどなれはしない!
・・・・・・と、あなたが思ったとしたら、あなたには漫画家の才能がない。「下手でも一生懸命描くべき」と考える人は成果ではなく努力を褒めて欲しい人だからだ。一方天才島本和彦先生の出した解答は下記の通りである。
「そうだ!!主人公が学校に行く為に校門をくぐったら教室へ行くまでの間になぜかボクシングのリングがあることにしよう!教室に入ることなくリングでライバルとボクシングで戦うことにしよう!リングはロープ4本くらいだし楽勝で描ける!戦いの勝利で得るものがかわいい女の子にすれば学園ラブコメっぽくもなる!」
お分りいただけただろうか。島本先生は画力の向上に力を注がず、画力の低さをゴマかすことに全力を注いだのだ。これこそがプロになれる人となれない人の思考の違いである。
プロになれる人は、編集者を騙してでも自分の能力を高く見せようとする。自分の能力が低いと思われたら見捨てられるのがわかっているから。
プロになれない人は、自分のありのままを見せる。無能な自分を編集者が一生懸命育ててくれると思っているから。
そして漫画に限らず、全てにおいて「上手くなってから始めよう」と考える人は決して上手くならない。どんなことも「始めてから上手くなる」のだ。
わかったらさっさとそのクソ画力とクソストーリーでクソより少しはマシに見えそうなクソモドキ漫画を描いて持ち込まんかバッカモ〜ン!
以上。
おっぱい。
じゃなくておしまい。
【引用:アオイホノオ】