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【自己紹介】
初めての方。はじめまして。
私はロシアン美少女漫画編集者のジョバーニャだ。
うむ。わかる。色々と言いたいのはわかる。
だがとりあえず私がどういう人間なのかを聞いて欲しい。
私はtwitterやブログで、編集者気取りで漫画家志望者に説教することを生業としている痛いおっさんである。
そんな私を何故か一部の漫画家先生方は興味を持っていただけているようである。というか今(2017年3月11日現在)私のフォロワーを見たら
漫画家先生が100人以上いた。
週刊ヤングジャンプで大好評連載中の超人気漫画家先生方々とか、週刊少年マガジンの編集者さん方々とか、漫画専門学校の校長とか理事長とか。なんかどっかの偉い人とか。やだ何キモい。死んで。
と、この程度の暴言を吐いても私はリムられるず許してもらえる。なんせロシアン美少女編集者なのだから。こんなブログでフォロワーの先生方の名前を1人1人書くのはさすがにご迷惑だろうと思うので、気になる人は私のフォロワー欄をご覧いただきたい。
↓
http://twitter.com/jovanniostar
そしてまあ改めてお伝えするほど大したことではないし、わざわざ言う程のことではないのだが、ブログを公開してから15時間で1000アクセス突破している。さすが私だ。私はさすがだ。
さ
【私の華麗なる経歴】
○小学生〜大学
ウラジオストックで天才的頭脳を以って勉学に励む一方、シコシコと漫画を描いていた。
○大学
モスクワで天才的頭脳を以って勉学に励む一方、漫画家デビューし連載が決定する。しかし天才的頭脳でナンチャッテ出版社への就職を決まり、ナンチャッテ編集者となる。
○現在
ボスニア・ヘルツェゴビナで編集者として学ぶべき漫画ノウハウは天才的頭脳を以ってすべて学んだので、退職し起業した。
【ブログのコンセプト】
私は漫画家志望者を皆殺しにしたいと思っている。そのために漫画家志望者を全員漫画家にすることにした。このブログに書いてあることを実践すれば、誰でも必ず漫画家になれる。そうすればこの地上から漫画家志望者を滅ぼすことができる。それこそが私の野望だ。皆殺しだ。一人残らず皆殺しだ。
おう、てめえら。映画クレヨンしんちゃんの最高傑作を決めようじゃねぇか
よう。てめぇら。
今更名乗るまでもねぇが、
オレァ30代漫画家志望者組の大幹部ジョバーニャだ。
今日の進行を任された。
さて、始めようじゃねえか。
なに?
普段と口調が違うだと。
悪いが今回ばかりは遊びじゃねえ。遂にこの日が来ちまったんだ。そう・・・・
映画クレヨンしんちゃんの最高傑作を決める日が。
ロシアン美少女なんて言ってる場合じゃねえんだ。
て言うかなんだロシアン美少女編集者って。バカか。
そんなことはどうでもいいからさっさと始めるぜ。
まずはジョバ吉。一番下っ端のてめえからだ。映画クレヨンしんちゃんの中でどれが最高傑作だと思う?
なに?
「モーレツ!!オトナ帝国の逆襲」だと?
パァン!パンパンパァン!
世間の評価に流されやがって馬鹿野郎が・・・もちろんオトナ帝国はとんでもない名作だ。しかし、てめえみてえな若造にはあの作品の意味なんざ一つもわかりゃあしねえだろ・・・ありゃあ酸いも甘いも嚙み分けて重い責任を持った大人の親父だけが本質がわかる作品だぜ。てめぇには何故ひろしが「チキショー!なんでここはこんなに懐かしいんだ!」と泣いて叫んだか、その本質なんざわかりゃしねえだろう。まぁ・・・こんなこと言っても・・・蜂の巣になっちまったてめえには聞こえねえか・・・。
いいかてめえら!
映画クレヨンしんちゃんってのは一筋縄じゃいかねえ!
初作品にて至高と言われる”アクション仮面VSハイグレ魔王”
列車の食事シーンとルルちゃんが素晴らしい”ブリブリ王国の秘宝”
現在・過去・未来と戦いの舞台が目まぐるしく変わる”雲黒斎の野望”
ラストのババ抜きからの追いかけっこが神作画の”ヘンダーランドの冒険”
クレしん史上No. 1のオカマトリオとこれまた神作画のヒクソンのバトル”暗黒タマタマ大追跡”
もはやレジェント・ぶりぶり左衛門が暴れまくる”電撃!ブタのヒヅメ大作戦”
野原ひろしの死を描いたと言われる絶望的感動作”ガチンコロボとーちゃん”
さらに・・・
おっとつい語っちまったな。
ふふ・・・序列をつけるのがこうも悩む映画シリーズはクレヨンしんちゃんとドラえもんくらいだぜ・・・
ん?なんだ?若頭のジョバ蔵?
「クレヨンしんちゃんは悩むけど、ドラえもんは大山のぶ代時代に絞れるから楽ですよね。」だと?
パァン!パンパンパァン!
やれやれ・・・やはりてめえに若頭の器はなかったぜ。蜂の巣がお似合いだぜ・・・新魔界大冒険のラストのイデオン戦での「どこでもドア」を用いた超々至近距離瞬間移動からダーツフィニッシュという展開の素晴らしさを理解できねえとはよ。あれは初めて「どこでもドア」を武器に使うと言う斬新極まりない発想で監督さんの原作リスペクトが随所に・・・・
おっと、今はドラえもんじゃなくクレヨンしんちゃんの話だったか。
よしつづけるぜ。
次はてめぇだ。
ジョバ太
・・・
パァン!パンパンパァン!
次てめぇだ。
ジョバ五郎。
・・・
パァン!パンパンパァン!
次は・・・
・・・
もう組員は・・・
俺とオヤジ以外みんないなくなっちまったか・・・
最後に・・・オヤジ
答えてくだせえ。
オヤジにとって、いや、この組にとって映画クレヨンしんちゃんの最高傑作てのはなんですかい?
え?
「その質問に答得られるほど若くじゃねえ」ですって?
・・・・・
ふふ。
こいつは一本取られちまったぜ。
最高傑作なんて決められねえ。
映画クレヨンしんちゃんは、どの作品も自分が歳を重ねるごとに新しい魅力が見つかる。50年100年生きた程度じゃその魅力を全てを理解することなど到底かないやしねえ。それこそ永遠に・・・ってか
ふふ。
さすがオヤジだ。
最高傑作なんて決める意味はない・・・・ってことかい。
・・・
パァン!
・・・・・
すまねえオヤジ・・・あんたの言うことは確かに正しいと思いやす。
けどな、そいつは逃げだ。
最高傑作を決めるのは誰だって恐怖だ。
「あ、こいつニワカだな」とか「あ、こいつ監督で選んでるな」とか・・・思われるんじゃないかとか・・・
答えを出さなきゃずっと安泰でいられるさ・・・けどそれでも・・・
一生極道で生きると決めた日から・・・俺たちは逃げることは許されねえんだ。答えを出さねえわけにはいかねぇんだ。極道って世界で生きると決めちまった以上・・・イモ引くことは許されねえんだ・・・
・・・・・
とはいえよ・・・オヤジにまで手をかけちまったこの俺がのうのうと生きるわけにはいかねえ。けじめはつけねえとな。
みんな・・・今会いに行くぜ。
パァン
・・・・・
う・・・
ち・・・即死はできなかったか・・・・まあ、この苦しみも・・・オヤジを・・・みんなを殺しちまった罪滅ぼしだと思やあ・・・・・
ん・・?
へ、なんだジョバ蔵。お前もくたばり損なってたか・・・ん?なに?
「・・・ジョバーニャさんのクレヨンしんちゃん映画の最高傑作はどの作品か」だと?
・・・・
なあ俺たちは一生極道として生きると決めた。その生き方しか・・・選べなかったからよ・・・・クソッタレた30代漫画家志望者として生きちまってよ・・・流れ着いた先がここだ・・・・
けど死んじまったら・・・もう極道を貫かなくてもいいのかい?普通の・・・映画クレヨンしんちゃん大好き野郎として過ごせるのかい・・・
へ、何が「きっとそうですよ」だ。てめえに保証されたってなんも嬉しかねえよ・・・・
・・・・・
映画クレヨンしんちゃんの最高傑作は・・・どの作品か・・・・・・・・
ふん・・・
そいつはもちろん・・・
これからあの世でみんなと見る作品さ。
AKB48指原莉乃と30代漫画家志望者に、タイムマシンは要らない
タイムマシンが欲しいかい?
そう聞かれてイエスと答えない人類が何人いるだろうか。
「あの時あんな選択をしなければ...」
「あの失敗をやり直せれば...」
この記事を読んでいるあなたも過去の過ちを悔やんだことは一度や二度ではないだろう。我々人類は愚かにも失敗しないと学ばないという習性がある。人生は失敗したら取り返しのつかないのに何と理不尽な事だろう。タイムマシンは全人類の必須アイテムなのだ。
ところがしかし。
この世にはタイムマシンを必要としない人間が2人だけいる。
1人はAKB48指原莉乃。
もう1人は30代漫画家志望者だ。
これより語るは惨劇と喜劇と絶望と希望の物語だ。
AKB48指原莉乃
彼女の説明は不要だろう。言わずと知れたAKBグループの人気トップだ。
彼女は数年前に恋愛スキャンダルを犯した。ファンの男性と恋愛をしており、別れた後、当人の男性から新聞社に暴露されたのだ。
その結果ファンから袋叩きにあい、制裁としてAKB48から地方の姉妹グループへの左遷された。
当時の彼女は後悔したことだろう。
「あんな男と付き合わなければ・・・」あるいは「もっと上手く隠せれば・・・」と。
どちらの後悔だったか私には知る由もない。
人は生きる限り常に選択を迫られる。
選択の都度私たちは最良と思える選択をし続けているはずなのに、なぜか結果は後悔することばかりだ。「なんでこんな事に・・・」と
そして「なんでこんな事に・・・」の最果てにある存在が30代漫画家志望者だ。
30代漫画家志望者を一言で言うなら"人生終わってる人"だ。
夢を抱いて上京し3年...5年...7年...そして10年が過ぎてしまった。同い歳の就職した友達は家庭を持つようになったが、自分は未だにネクタイの結び方も知らない。お金も社会的地位もない。まともな企業への就職などとっくに手遅れ。コンプレックスは肥大の一途。
「漫画家として売れれば!漫画家にさえなれれば全てひっくり返せる!」と自分を鼓舞して、もはや義務感のみで漫画を描いては落選を繰り返す。高校生でもできるバイトで人生を切り売りして生活費を稼ぐ。
完全に終わっている。
終わっているとしか言いようがない。
だがしかし。
もし彼らがタイムマシンに手にしたとして、過去に戻ろうとしたら、私は必死で止めるだろう。
なぜなら
勿体無いからだ。
"人生終わってる30代漫画家志望者"という素晴らしい財産を放棄するなど勿体なさすぎるからだ。
言っている意味がわからないだろう。説明させていただく。
まず厳然たる客観的事実を2つ提示する。
30代漫画家志望者は人生が終わっている。
しかし今の社会には30代漫画家志望者でなくとも、人生が終わってる人がたくさんいる。
ここまではいいだろうか。まだ私が何を言いたいのかわからないだろうが、もう少しだけ聞いて欲しい。
あなたは面白い漫画の重要な要素が”共感”であることをご存知だろうか。
漫画とは、共感ができなければヒットしない。例えば「課長島耕作」を、小学生に読ませてもちっとも面白くないというだろう。それは共感できないからだ。「課長島耕作」がどんなに名作でも、共感できない人にとってはそれは駄作なのだ。
さて、そう考えると・・・うっすらと見えてくるのではないだろうか。
30代漫画家志望者の武器が。
30代漫画家志望者は人生が終わっている。いつまでも報われない苦しみや悲しみ、。成功者への嫉妬や憎悪。そう言った苦痛を骨の髄まで味わっている。
だからこそ。
人生終わっているからこそ、人生終わっている読者に刺さる漫画が描ける。
現代社会ではニートや引きこもりが増加の一途をたどっている。ブラック企業や非正規雇用者の割合も年々増加し、貧困層と富裕層との格差は広がるばかりだ。明日が見えず希望を持てなず毎日消耗している人はいくらでもいる。
つまりターゲットになる読者層はものすごく分厚いのだ。
そう。
人生が終わっていることこそが、30代漫画家志望者の財産であり、最強の武器なのだ。
さて。
ここで指原莉乃さんの話に戻ろう。
指原さんはスキャンダルを起こし知名度が爆発した。そしてHKT48に移籍した後、リーダーとしてチームを引っ張っていく姿がファンの間で大きく評価されたそうだ。
その結果、AKB総選挙2連覇である。
これはAKB史上唯一指原さんだけが成し遂げた栄光である。
彼女の現在の活躍ぶりは、あなたがAKBに興味がなくともご存知だろう。
もしあのスキャンダルがなければ。移籍がなければ。今の栄光も成功もなかっただろう。
どうしてもやり直したい過去がある。
だけどどうしてもやり直せなかった。
だからこそ今の成功がある。
そう。
だから。
だから要らないのだ。
指原莉乃と30代漫画家志望者に、タイムマシンは要らないのだ。
【第1回】なぜ「ロシアン美少女漫画編集者」というキャラは立ちまくっているのか〜ツカミ編〜
皆様ごきげんよう。
今から”ロシアン美少女漫画編集者”が何故こんなにもギンギンにキャラが立ちまくっているのを教えよう。
ぶっちゃけキャラ作りのノウハウが詰まりまくっているので漫画家志望者は必見だ。
では始めよう。
第1回目のテーマは「ツカミ」である。
連載作品であろうと読切であろうとツカミというのは非常に重要である。まず読者に読んでもらえなければ何も始まらない。
それでは私がTwitterユーザーを「ツカむ」ためにどんなギミックを仕込んだのか紹介しよう。最初に考えたのは下記2点だ。
【名前】
【肩書き】
それでは順に説明しよう。
【名前】
名前は割と適当に決めた。Twitterで注目されるには名前より肩書きの方が大事だと思ったからだ。
ただし、「山崎」とか「健太」とか「ミホ」とかはやめておいた。よくある名前や短い名前は
エゴサーチに時に引っかからないからだ💗
まあ名前は長過ぎず短か過ぎず、他人と重複しにくいものであれば無難だろう。
私はちょうどアカウント開設当時はジョジョのソシャゲをやっていたので、第5部主人公のジョルノジョバァーナをモジってジョバーニャにした。(ソシャゲは3週間くらいでやめてしまったが・・・)
「ジョバーニャ」
うん。まあ可もなく不可もない名前だ。
ちなみに少し話がそれるが、
漫画において、キャラの名前の長さは割と重要だ。
名前が長いと読者に覚えてもらいにくい。ジャンプでも悟空、ルフィ、ゴン、ナルト、トリコなど短い名前が多いのがわかるだろう。
もちろん長い名前がダメというわけではない。しかし「どうしてもこの名前にしなくてはならない」という理由がなければ、短い名前の方が無難ではあるだろう。
【肩書き】
名前は決まったので、次は肩書きだ。肩書きとは
「ジョバーニャ@XXXXX」のXXXXXの部分だ。
TWItterで漫画編集者を検索したところ「@漫画編集者」という名前のユーザーが多くいた。ということは
彼らと同じでは埋もれてしまう。差別化を計らないといけない。
私は「ジョバーニャ@×××漫画編集者」と肩書きをつけることにした。「漫画編集者」ではなく「×××」の部分でユーザーを食いつかせようと思った。
ではどんな肩書きがいいか。
ここで意識すべきは「快感的ギャップ」だ。
快感的ギャップとは要するに、嬉しいギャップだ。
例えば、あなたが男性で、Dカップの女性と一夜を共にしたとするだろう。ワクワクしながら下着を外したらおっぱいパット入れまくりで実際はAカップだった。あなたはガッカリするだろう。これは悪いギャップだ。
逆にBカップくらいだと思っていたのにDカップだったらあなたは喜ぶだろう。これは嬉しいギャップだ。つまり快感的ギャップだ。
そして肩書きや名前や固有名詞を決める際にはもう一つ重要な要素がある。
語感の気持ちよさだ。
人間は文章を口に出さず、頭で読む時でも読みやすさ・読みにくさを感じる。例えば「マツコデラックス」は非常に語感が気持ちいい。
一方「漫画編集者」は非常に語感が悪い。こんな語感の悪いフレーズはできれば使いたくないところだが、漫画家志望者をターゲットとする私には欠かすことができないフレーズなので掲載せざるを得ない。
だからせめて「×××」の部分だけでも気持ちいい語感にしようと思った。
さておさらいだ。
肩書きにはこの2つの条件を満たすことが必要だ。
- 快感的ギャップ
- 気持ちいい語感
まず快感的ギャップを狙うため「漫画編集者」の真逆のイメージを考えた。
そもそも漫画編集者とはどんなイメージだろう。
大体の編集者はビジネスマンであるにもかかわらず、スーツも着ずヒゲだのロン毛だの茶髪だの好き勝手している社会不適合者っぽい見た目である。しかも毎日昼すぎに出社してくるし、原稿の催促で深夜まで漫画家先生の家も張り付いたりしている。
ふむ。一言で言うと・・・
なんか薄汚い。
よし漫画編集者のイメージはこれだな。 では薄汚いの真逆はなんだろう。
これは考えるまでもない。
美少女である。
美少女である。
美しょ
失礼。いささか取り乱してしまった。ともかくそう言う理由から私はとりあえず名前と肩書きを決めた。
「ジョバーニャ@美少女漫画編集者」
ふむ。「美少女」は語感も悪くないし快感的ギャップもある。ちゃんと条件を満たしている。
よし!これに決めた!
・・・・・と思うのは凡人の思考である。
そんな凡人は仮に漫画を描いて投稿したところでせいぜいマイナー月刊誌の最終選考が関の山だだ。
そうではないのだ。
ここまで私が書いたことは全て理論だ。理論だけで漫画を面白くできないのだ。それ以外に必要な要素があるのだ。そしてそれは漫画の抗生物質そのものと言ってもいい。それはズバリ
エンターティメント性だ。
漫画に必要なのは、1%の理論と99%のエンターティメント性なのだ。
だから私は、その時頭の中にパッと閃いた”ロシアン”という言葉を、直感で付け足した。”ロシアン美少女”という言葉は語感が気持ちいいというのもあるが、それは命名の理由ではない。本当の理由は
ただ、私が面白いと思ったからだ。”ロシアン美少女編集者”という肩書きをユーザーは面白がってくれると信じたからだ。
そこに理論などない。根拠などない。実際面白がってもらっているかもわからない。
だがしかし
この状況で"ロシアン"という言葉を選んだことこそ、私のエンターティメント性だと信じたのだ。
”ロシアン”こそが私にしか生み出せないエンターティメント性の象徴なのだ。
ドドーーーン!
さて、これでもかというくらいの自分語りに付き合っていただいて感謝する。
それでは本日はここまで。
次回からは、より具体的な”ロシアン美少女編集者”のキャラ作りについてお伝えする。
ぜってぇ見てくれよな!
チャンチャン♪
ドラゴンボールとジョジョに学ぶ「中ボス社畜理論」を君に教えよう
君は”中ボス社畜理論”をご存知だろうか。
当然知らないだろう。私が10分前に思いついた言葉だ。だが漫画で”強さ”を表現する方法として非常に有効なので、参考にしてくれ給え。
それではまずはドラゴンボールのサイヤ人編を思い出してほしい。ベジータとナッパさんが地球に攻めてきた時のことだ。
ナッパさん強過ぎ。
ナッパさんは1人でZ戦士たちを紙屑のように殺しまくり、全国の少年たちを絶望のどん底に落とし込んだ。私も当時パキスタンのコンビニで立ち読みしながら「こんな奴に勝てるわけないよ...;;」と戦慄したものだ。
しかし、そんな最強ナッパさんの印象があるシーンで一変する。下記画像を参照いただきたい。
「ナッパ!俺のいうことが聞けんのか!」
「す・・・すまねえベジータ・・・つい調子にのっちまって・・・」
これはビックリだ。めちゃくそ強いナッパさんがベジータには怯えきっているのだ。「ナッパがビビるって・・・ベジータどんだけ強いんだよ・・・」と私はさらに震えたものだ。
さて、おわかりいただけただろうか。
これが”中ボス社畜理論”だ。
ナッパが強さの評価が上がるほど、その上に立つベジータの強さの評価も勝手にグイグイあがっていく。社畜(中ボス)が頑張れば頑張るほど、何もしていない社長(ボス)の評価が上がっていくのだ。
ちなみにこの理論は「ジョジョの奇妙な冒険 第3部」でも利用されている。第3部のボスはDIO、中ボスはヴァニラアイスというキャラだ。ヴァニラアイスはDIOに心酔し、忠誠を誓っている。
ヴァニラアイスはとてつもなく強く、ジョジョ一行は仲間を2人も殺された。
そうやってヴァニラアイスが強さが評価される程、その上にいるDIOの強さの評価もグイグイ上がっていくのである。
中ボス社畜理論、恐るべしと言わざるを得ない。
さて、話をドラゴンボールに戻そう。
次はフリーザ編の話だ。
フリーザ様といえば戦闘力53万という数値で全国の読者の度肝を抜いた。
しかしガッカリする事態が起きてしまう。
ベジータ・悟飯・クリリンは相当強くなってしまい、フリーザ様相手にに健闘してしてしまうのだ。悟飯が「3人がかりなら勝てるかもしれない」と思う程だ。
これをウラジミールのコンビニで立ち読みした当時の私はこう思ってしまった。「戦闘力53万でこの程度なのか。フリーザあんま強くないじゃん」と。
これはマズイ。バトル漫画のボスが大して強くないと、盛り上がりに著しく欠けてしまう。
このままでは読者アンケートは低下、打ち切り待った無しだ。鳥山先生も娘さんの誕生日に自家用ジャンボジェットをプレゼントすることすらできなくなってしまう。せいぜいジャンボクルーザー程度だろう。私は鳥山先生の娘さんが悲しむ顔など見たくない。
だが安心してほしい。
私の懸念などすべて鳥山先生の手の上のことだった。なんと鳥山先生はここにきて再び、
”中ボス社畜理論”を繰り出してきたのだ。
私は度肝を抜かれた。なぜならこの時のフリーザ様はすでに仲間や部下は全員やられてしまっていて孤立無援だったのだ。つまり中ボスという存在がいないのに”中ボス社畜理論”を繰り出したのだ。一体どうやって?
変身である。
実はフリーザ様は第4形態まで変身でき、その度に戦闘力が大幅アップできることがここにきて明かされたのだ。
つまり鳥山先生の狙いはこうだ。フリーザ様の第2・第3形態を”中ボス”としてその強さを見せつけ、最終形態を”ボス”として勝手に強さの評価をグイグイ上げようとしたのだ。
要するにフリーザ様1人でボスと中ボスの仕事を担わせたのだ。これこそが”中ボス社畜理論”の応用編の
”セルフ中ボス社畜理論”である
そしてこの理論は見事にハマり、フリーザ様は第2・第3形態で圧倒的強さを見せつけてくれた。おかげで最終形態はどんだけ強いんだという期待を煽りに煽ってくれた。クリリンなど最終形態を想像するだけでガクガク震えていた。
当時の私はモスクワのコンビニで立ち読みしながら思わず呟いた。
「ああ・・・なんて美しいセルフ中ボス社畜理論なの・・・」
さて、”中ボス社畜理論”の話は以上だ。漫画家志望者は必ず覚えておくべきた。言うまでもないが、覚えるだけでは意味がないぞ。ちゃんと実践するように。
今日の講義は以上だ。
次回は鳥山先生が人造人間編や魔人ブウ編で新たに生み出した新理論を紹介しよう。この業界ではこう呼ばれている。
"桃太郎のジレンマ理論”。
この理論が漫画界に大革命を起こすのだが・・・それは次の講義で。
ワンピースとジョジョの共通点から必ず学ぶべき"感動の法則"
ワンピースとジョジョの奇妙な冒険。今更語るまでもない伝説的作品だ。どちらの作品も感動するシーンが非常に多い。私も何度泣いたかわからない。
しかし、あなたは気づいているだろうか。この2作品に大きな共通点がある。
この2作品は、全く同じ”感動の法則”を使っているのだ。
ちなみにタレントの矢口真里さんは「ワンピース1冊につき5回は泣ける」そうだ。
つまり彼女はワンピースを80巻読めば400回以上泣くということだ。さすがの私も400回は泣いていないので矢口さんのワンピースへ愛情には敵わない。
失礼。話が脱線してしまった。
”感動の法則”の話に戻ろう。わかりやすく説明するために下記画像をご確認いただきたい。下記画像はワンピースとジョジョの奇妙な冒険の作中で、キャラが死亡する場面をまとめたものだ。
注目してい欲しいのは、”みんな死ぬときに笑っている”というところだ。
【ワンピース】
なぜ彼らは死ぬ時に笑うのか。
死なないからだ。
そもそもこの両作品における”死”とは何か。まず、どちらの登場人物も目的と信念を持って生きている。彼らにとって死ぬことよりも無念なのは目的を達成できないことだ。
だがしかし。
例え自分が死んだとしても、その目的を果たすという意思を受け継いでくれると信頼できる相手がいれば・・・
命は死んでも魂は死なない。自分が死んでも自分の目的は必ずあいつが果たしてくれる。だから笑って逝ける。
これこそがワンピースとジョジョの奇妙な冒険に共通する感動の法則
”受け継がれる意思”である。
さあそれを踏まえて改めて先ほどの画像を見ていただきたい。どのキャラも必ず、信頼できる相手が意思を受け継いでくれている事に気づくだろう。
ベルメールさんはナミとノジコに。
ヒルルクはチョッパーに。
モネとヴェルゴはドミラミンゴに。
コラソンはトラファルガー・ローに。
ジョナサンの父親はジョナサンに。
ツェペリさんもジョナサンに。
ジョナサンはエリナと赤ん坊に。
シーザーはジョセフに。
イギーはポルナレフに。
意志は受け継がれているのだ。
以前尾田栄一郎先生のインタビュー でこのように仰っている。これを私ので臆断と偏見で解釈させていただきたい。
尾田先生談(意訳)
「人は辛い事があったくらいではまず泣かない。もっと辛いことが起こっても泣かない。 もっともっと辛いことがあってもまだ泣かない。耐えて、耐えて、そして優しい人が現れた時にやっと出て来る涙が『感動の涙』なんです。」
ジョバニャン独自解釈
「読者はキャラクターが辛い目があったくらいではまず泣かない。もっと辛い目にあっても泣かない。 もっともっと辛い目があってもまだ泣かない。そのキャラが耐えて、耐えて、とうとう命を落とす時に、その意思が他の誰かが受け継いだ時に、流す涙が『感動の涙』なんです。」
本当に私の独自解釈ではあるのだが、当たらずとも遠からずと思いたい。
さあ、この空前絶後の疾風怒濤の大ヒット作2作品に愛された感動のサンシャイン法則。
漫画家志望者たる者パクらんでどうする!ジャスティス!
ではおっぱい。
じゃなくておしまい。
【引用】ジョジョの奇妙な冒険・ワンピース
ブログ公開から15時間で1000アクセスを超えたのはこの私だという自慢話
ブログ公開から15時間くらいで1000アクセス超えてた。私ははてなブログの平均アクセス数を知らないし、そもそもwebの知識はホームページビルダーとアクセスカウンターの時代から止まっているのだが、15時間で1000アクセスは結構多いと思う。
さすが私だ。
このところTwitterでもすっかり丸くなったが、舐めてもらっては困る。忘れてもらっては困る。
私はかつてTwitterで敬語リプをくれた漫画家先生にタメ口で返信していた頭のおかしい自称ロシアン美少女編集者なのだ。
ふふん。
さて、それでは1000番を取った方からのキリ番リクエストを受け付けよう。ちゃんとアクセスカウンターのスクショを添付していただきたい。何?キリ番リクエストを知らないだと?
やれやれ。君はどこの田舎者かね。
あっコラ!裏ページへの直リンは禁止だぞ!